金剛鐘
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「椙山女学園大学附属小学校」の記事における「金剛鐘」の解説
学園のシンボル。毎朝8時30分、昭憲皇太后御歌『金剛石』(1887年(明治20年)3月18日、作詞・昭憲皇太后、作曲・奥好義)を生徒が鐘の音で奏で、始業とする。1921年、椙山女学園創設者で初代学園長の椙山正弌がカリフォルニア大学を訪れたときに耳にした鐘の音色と、静かに祈る学生や道行く人々の姿に感動し、学園にこの鐘を取り入れることを考えた。10年後、ロンドンのジレット社へ鐘の製作を依頼し、1930年(昭和6年)、覚王山にあった当時「白亜の殿堂」と称された椙山第二高等女学校(現在の椙山女学園高等学校)の校舎屋上の塔内に設置された。1931年2月11日、鐘から初めて唱歌『金剛石』のメロディーが流れて以来「金剛鐘」と名づけられ、学園のシンボルとして奏鳴係の生徒の手で、今日まで授業日や行事日には毎朝、演奏されている。金剛鐘の設置されている椙山女学園中学校・高等学校の校舎から少し離れているため、小学校ではメロディーをテープで流したり、6年生数名によりハンドベルの生演奏をしたりしている。
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金剛鐘(こんごうしょう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 16:20 UTC 版)
「椙山女学園中学校・高等学校」の記事における「金剛鐘(こんごうしょう)」の解説
学園のシンボル。毎朝8時30分、昭憲皇太后御歌『金剛石』(1887年(明治20年)3月18日、作詞:昭憲皇太后、作曲:奥好義)を生徒が鐘の音で奏で、始業とする。1921年(大正10年)、椙山女学園創設者で初代学園長の椙山正弌が教育事情視察のため渡米した折、スタンフォード大学で、毎朝讃美歌のメロディーが鐘の音で鳴り渡ると学生はもちろん学外の道行く人々も歩みを止めて静かな祈りを捧げる姿をみて深く感動し、学園にもこの鐘を取り入れることを考えた。帰国後、英国ロンドンのジレット社へ鐘の製作を依頼し、1930年(昭和5年)、覚王山にあった当時「白亜の殿堂」と称された椙山第二高等女学校の校舎屋上の塔内に設置された。1931年(昭和6年)2月11日、鐘から初めて『金剛石』のメロディーが流れた。
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金剛鐘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:59 UTC 版)
学園のシンボルとなっているカリヨン(組み鐘)。毎朝8時30分、昭憲皇太后御歌『金剛石』(1887年(明治20年)3月18日、作詞:昭憲皇太后、作曲:奥好義)を生徒が鐘の音で奏で、始業とする。1921年(大正10年)、椙山女学園創設者で初代学園長の椙山正弌が教育事情視察のため渡米した折、スタンフォード大学で、毎朝讃美歌のメロディーが美しい鐘の音で鳴り渡ると学生はもちろん学外の道行く人々も歩みを止めて静かな祈りを捧げる姿をみて深く感動し、学園にもこの鐘を取り入れることを考えた。帰国後、英国ロンドンのジレット社へ鐘の製作を依頼し、1930年(昭和6年)、覚王山にあった当時「白亜の殿堂」と称された椙山第二高等女学校の校舎屋上の塔内に設置された。1931年(昭和6年)2月11日、鐘から初めて『金剛石』のメロディーが流れ、以来「金剛鐘」と名付けられたこの鐘で奏でられる響きは学園のシンボルになり、卒業生・在校生の胸に深く刻まれている。
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