道院設立とは? わかりやすく解説

道院設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 22:32 UTC 版)

世界紅卍字会」の記事における「道院設立」の解説

世界紅卍字会母体である宗教団体道院」は、民国5〜6年1916年1917年)頃に山東省縣知事であった呉福と駐防衛長の劉紹基が県署の大仙祠に尚真人の祭祀壇を設け祭祀壇前にて洪子陶と周徳錫を伴って伝統的な扶乩フーチ、ふけい)を用いていたところ、ある日至聖先天老祖(老祖)」降臨御神託下りたとされ、これが道院起源伝えられる。 道院設立にあたって默清や中華民国4代総統徐世昌の弟である徐世光など有力者一部設立支持している。民国9年1920年)、默清をはじめとする有力者48人の信者神壇済南府城内劉紹基の自宅内に移し宣教従事1921年民国10年)に道院設立に至る。 主祭神 - 黎明期は、扶乩フーチ、ふけい)に依る乩示(けいじ) を御信託とした天啓宗教で、修養方法等は道教流れを汲んでいたとされている。宇宙の独一眞神を「至聖先天老祖(老祖)」とし、最上位神体準じて老子道教)、項先師孔子の師、儒教の祖)、釈迦仏教)、マホメットイスラム教)、キリストキリスト教)とされており、加えて歴史的な聖賢哲人祭祀する包括信仰団体である。一宗一派偏せず万教帰一思想とする。 乩示 - 天啓として行われた道院扶乩は、神位前に置かれ砂上天啓現れるというものであった。砂の入った沙盤を90cmほどの高さの机上に置き、向き合って立った2人が乩筆(けいひつ)と呼ばれる木製の棒を砂上渡し、棒の中央付いたT字型の先の動きによって砂上表れたものを乩示とし、宣者が読み上げ、録者が記録、壇訓として掲げた世界紅卍字会などの付随組織派生した頃には、宗教団体として組織化し北京道院中華民国内)及び新京道院満州国)と2 カ所の総院が各地域代表し設立期利用された劉邸跡は済南道院と呼ばれ最上位機関としての役割担っていた。

※この「道院設立」の解説は、「世界紅卍字会」の解説の一部です。
「道院設立」を含む「世界紅卍字会」の記事については、「世界紅卍字会」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「道院設立」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「道院設立」の関連用語

道院設立のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



道院設立のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの世界紅卍字会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS