近年の評価と問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:00 UTC 版)
後の歴史家たちからは、ホジソンやマクニールの火薬帝国仮説は不十分で不正確な説明に過ぎないとしてあまり肯定されていないが、それでも「火薬帝国」という用語は用いられ続けている。非集権的なチュルク部族国家群が占めていた地域に、3つの集権的帝国がほとんど同時に興隆したことについては、軍事面以外からも様々な説明が試みられている。例えば15世紀ヨーロッパを研究している歴史家たちからは「宗派化」(Confessionalization)、すなわち国家が信仰告白や教会布告などを通じて教会との関係を深めたことが、中央集権化や絶対主義の発生をもたらしたという概念を提唱している。ダグラス・ストレウサンドは、これをサファヴィー朝を例にとって説明している。 サファヴィー朝は当初から一般臣民に新たな宗教的アイデンティティを強制した。言語的アイデンティティの育成によらないその政策には効果があった。 ホジソンとマクニールの理論の問題点の一つとして、ムガル帝国を除く2国は、実のところ初期の急拡大にそれほど火器が係わっていないということが挙げられる。さらに3国とも、火薬兵器を獲得する前から既に軍事的専制体制が形成されていた。火薬兵器の獲得と軍隊への導入が、実際に数あるイスラーム国家の中で特定の3つの帝国の興隆をもたらしたものであるとも思われないただ、火薬の存在が3つの帝国の存在と本質的に結び付いていたかどうかは定かでないとしても、三国それぞれがその歴史の早い段階で大砲や火器を導入し、軍事戦略の一部として取り込んでいたのは確かである。
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