近年の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 07:23 UTC 版)
護佐丸・阿麻和利の乱の経緯については、琉球王国の最初の正史である中山世鑑に記述がなく(欠本とも伝えられる)、中山世譜などの史書が護佐丸の末裔が繁栄した時代に編纂されていること、尚泰久王が警戒していた阿麻和利の讒訴を信じたこと、護佐丸が阿麻和利の謀略と看破しながら王に申し開きせずに自害したこと、阿麻和利が勝連に伝わるおもろで名君と讃えられていること、護佐丸の忠義が阿麻和利の乱で証明されたにもかかわらず、尚泰久王の正室の男児2人が王位を継承できず追放されたことなど、不可解な点がある。 このため近年は、護佐丸が実際に反逆者であったとする説、2つの内乱が有力按司の排除を意図した金丸(尚円王)の謀略であるとする説など、「忠臣護佐丸・逆臣阿麻和利」という構図の再評価が進んでいる。
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