辞意表明の演説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 10:59 UTC 版)
「ベネディクト16世の辞任」の記事における「辞意表明の演説」の解説
「教皇の辞任」および「w:Papal resignation」を参照 ベネディクト16世は高齢である事を理由に辞任を決意し、2013年2月11日午前11時、バチカンにあるローマ教皇庁にて福者3人の列聖を話しあうため招集した枢機卿会議にて、ラテン語で2013年2月28日20時をもって教皇職を辞任すると宣言した。 多くの急激な変化を伴い、信仰生活にとって深刻な意味をもつ問題に揺るがされている現代世界にあって、聖ペトロの船を統治し、福音を告げ知らせるには、肉体と精神の力がともに必要です。この力が最近の数か月に衰え、わたしにゆだねられた奉仕職を適切に果たすことができないと自覚するまでになりました。そのため、このようなことを行うことの重大さをよく自覚した上で、わたしは完全な自由をもって次のことを宣言します。すなわち、わたしは2005年4月19日に枢機卿団がわたしにゆだねた聖ペトロの後継者であるローマ司教の奉仕職を辞任します。 — ベネディクト16世、カトリック中央協議会 この日はバチカンの祝日の世界病者の日であった。聴衆はオトラントの殉教者(英語版)、ラウラ・モントヤ・ウペギ、マリア・グアドルーペ・ガルシア・サバラという3人のカトリックの聖人の列聖が発表されると予想していた。 "オトラントの殉教者を列福するための枢機卿会議(英語版)[要リンク修正]"として知られるこの儀式の中で、ベネディクト16世は「教会の生命にとって重要な決定」というこれらの贈り物を語った。 辞任表明の中でベネディクト16世は高齢のために健康状態が悪化したので教皇として務めるだけの体力や精神力が残っていないと述べた。彼は同時に「全人生を通じて祈る」事で教会に奉仕し続ける方針を表明した。バチカンのスポークスパーソン、フェデリコ・ロンバルディ(英語版)によると、ベネディクト16世は辞任後にバチカン市国を離れ、夏の休暇の際に滞在するカステル・ガンドルフォに移住する予定になっているという。その後、バチカン市内のマーテル・エクレジエ修道院(英語版)に滞在するという。 新しい教皇は2013年3月15日から20日までの間に行われる2013年のコンクラーヴェ(英語版)によって選出されるとされたが、生前辞任であったこともあり、前倒しされ、同年3月12日および13日に行われ、フランシスコが選出され、就任した。
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