オトラントの殉教者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 22:56 UTC 版)
「オトラントの戦い」の記事における「オトラントの殉教者」の解説
伝統的な説明では、生き残った男性800人が強制的にイスラム教に改宗するように裁判にかけられたとしている。 家と家族を失った男性800人が連行され、イスラムか死かの選択を迫られ、死を選んだ。アントニオ・プリマルドという名の仕立屋は同胞に向かって、「兄弟たちよ。我らは町を守るために戦った。今度は我ら自身の魂のために戦おう」と宣言した。男たちは全員一致でその言葉に従い、キリストに命を捧げることを決めた。 トルコ人は、男たちはイスラム教に改宗すれば、奴隷として売られた女性や子供を返すという条件を出した。これを拒んだら、男たちの首を切るとも。男たちはこの申し出も拒んだ。 8月14日、聖母の被昇天の徹夜祷の日に、800人の男は繋がれて町の外に連れ出され、そこで首を切られ処刑された。遺体はその場に残されたが、後に集められ、オトラントの大聖堂(英語版)に納められ、そこで今日まで保管されている。 以上のような伝統的なキリスト教的史観は後世の歴史家の批評対象となっている。近年の研究では、寛大の条件に改宗が出されたことを疑問視している。当時のオスマン帝国では宗教上の理由による虐殺は正当だとされていたが、イレニア・ロマーナ・カセッタはそれよりもむしろ、威嚇目的の処刑だったのではないかとしている。
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