軍縮による教育の転換
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「陸軍経理学校」の記事における「軍縮による教育の転換」の解説
1918年(大正7年)11月、第一次世界大戦が終了すると世界的に軍縮の風潮が広まり、余剰の兵科将校を経理部に転科させて吸収する必要が生じた。このため表面上の理由を主計候補生出身者は軍事的素養に乏しく上級経理官には不適であるとして、新制度への移行が計画された。 1920年(大正9年)8月、陸軍補充令中改正(勅令第244号)が施行され、改正令第15条で経理部現役士官の補充は憲兵科を除く各兵科現役士官のうち陸軍経理学校を卒業した者、または憲兵科を除く各兵科と経理部の准士官および下士のうち三等主計に任じられる資格を持つ者と定められた。 同時に従来の陸軍経理学校条例が改正され、陸軍経理学校令(勅令第239号)となって施行された。学校令第1条で陸軍経理学校は、各兵科(憲兵科を除く)士官、および経理部士官より選抜された者に陸軍経理に関する高等の学術を修得させ、各兵科(憲兵科を除く)准士官、下士、および経理部准士官、下士より選抜された者に陸軍経理部士官となるため必要な教育を行う所と定義された。さらに同条で陸軍経理学校は陸軍経理に関する学術の調査および研究を行い、あわせて陸軍経理に関する業務に従事する者の教育に要する図書の編纂をすることも定められた。 学校令による陸軍経理学校の被教育者は次のとおりである(1920年8月時点)。 高等科学生 陸軍経理に関する高等の学術を修得する。 現役一等主計または二等主計の検定試験合格者、ならびに経理部士官候補者。修業期間2年、毎年6月入校。 普通科学生 陸軍経理部士官となるため必要な教育を受ける。 三等主計候補者。修業期間1年6か月、毎年12月入校。 高等科学生のうち経理部士官候補者とは「身体強健、勤務精励、将来発達の見込みあり」と認められる憲兵科を除く各兵科の大尉、中尉、少尉のうち経理部士官を志願し連隊長に選抜されたのち試験に合格した者、すなわち兵科からの転科志願者である。普通科学生の三等主計候補者とは「身体強健、人格成績ともに優秀かつ家庭良好なる」憲兵科を除く各兵科の准士官、曹長、および経理部の准士官、一等計手、一等縫工長、一等靴工長のうち経理部士官を志願し連隊長または所管経理部長に選抜され試験に合格した者で、各兵科の少尉候補者に相当する。高等科・普通科ともに学生は校外に居住する。高等科学生のうち成績優秀な者は、卒業の際に員外学生としてさらに1年間在学するか大学令による大学で必要な研究を続行することが可能とされた。 1922年(大正11年)5月、第16期の77名が陸軍経理学校を卒業退校したのを最後に、陸軍主計候補生制度は廃止となった。第1期から第16期までの通算卒業者は906名である。
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