蹴裂伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 05:49 UTC 版)
盆地内に残る伝承によると、当地には赤土の泥湖であったという「丹の湖・丹の海(にのうみ)」があったという。また、これに基づき国名の「丹波」も、「風が吹くと湖に丹色(朱色)の波が立った様子」を表したとする説もある。ただしこの国名の由来は一般にはあまり認められず、別説が有力視される。 この湖に関して、出雲神話で有名な大国主命が保津峡(古くは浮田峡)を開削、湖の水を抜き盆地を開拓したという伝承(蹴裂伝説)が、盆地周辺の神社数社で伝わっている。しかしながら有力な文献はほとんど残っておらず、各社の社伝や口伝に拠る所が大きい。そのため、地元の郷土史でもほとんど取り上げておらず、伝承自体も各社で異なっているために統一的な解釈は出ていない。 関係する伝承を有する神社は以下の通り。 出雲大神宮(亀岡市千歳町千歳)名神大社、丹波国一宮。開削の主役である大国主命と、その妻神・三穂津姫命を祀る。地名「保津」は三穂津姫命に由来するともいう。 徳神社(亀岡市東別院町神原)鎮座地の「神原」において神々が談合を行ったとされる。なお、談合は黒柄岳(亀岡市・高槻市境)で行われたという伝承もある。この談合に集まった神々は8柱ともいう。 樫船神社(大阪府高槻市田能)当地で開削を行う際に湖に浮かべる樫の舟が作られたとされる。 桑田神社 (亀岡市篠町山本)式内社。保津峡入り口に鎮座。開削を始めた地とされ、祭神の大山咋神が開削に使った鋤と帯びていた短剣を祀ったとされる。大山咋神が庵を結んでいたとも、「丹波」の語源の1つ「田庭」は、当地の古い地名であるともいう。 請田神社(亀岡市保津町立岩)式内社論社。保津峡入り口、桑田神社の川向うに鎮座。鍬を受けた(うけた = 請田)地とされる。工事費用を「請け負った」ことに由来するともいう。 餅籠神社(持籠神社/篭持神社)(所在不明)当地から籠で土砂を運んだとされる。伝承上の神社で、所在は明らかでない。 鍬山神社(亀岡市上矢田町)式内社。開削に使った鍬が山積みにされた地(鍬山)とされる。鍬を作った地ともいう。 大井神社(亀岡市大井町並河)式内社。想定湖範囲の中心部に鎮座。湖の水が乾き残り「大いなる井戸(大井)」となったとされる。現在、境内に「丹の池」として残る。 以上の説話は全国に残る大国主の国づくりの1つである。同様に太古に湖があったという伝承は、甲府盆地等の日本各地の盆地にも見られる。 なお、後世江戸時代に入り、保津峡は角倉了以によってさらに開削されることとなる。
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