蹴鞠で代表的な人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 02:14 UTC 版)
各時代において多数の名足を生み出したが、平安後期の藤原成通は特に希代の名人と言われ、後世の蹴鞠書でも「蹴聖」と呼ばれている。 成通が蹴鞠の上達のために千日にわたって毎日蹴鞠の練習を行うという誓いを立てた。その誓いを成就した日の夜のこと、彼の夢に3匹の猿の姿をした鞠の精霊が現れ、その名前(夏安林(アリ)、春陽花(ヤウ)、桃園(オウ))が鞠を蹴る際の掛声になったと言われている。この3匹の猿は蹴鞠の守護神として現在、大津の平野神社と京都市の白峯神宮内に祭られている。また、その名前から猿田彦を守護神とする伝承もあった事が『節用集』に書かれている。 成通は順徳天皇の『禁秘抄』の中でも「末代の人の信じがたいほどの技芸」と書き記され、清水の舞台の欄干の上を鞠を蹴りながら何度も往復した、とか、従者たちを並ばせてその頭や肩の上でリフティングをしたが従者たちは誰も気付かなかった、など、信じがたいエピソードが数多く残っている。
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