起源 1891年 - 1893年
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「チャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道」の記事における「起源 1891年 - 1893年」の解説
1891年11月、ハムステッド・セントパンクラス・アンド・チャリングクロス鉄道(英語:Hampstead, St Pancras & Charing Cross Railway、HStP&CCR)と称する、ハムステッドのヒース・ストリートからチャリング・クロスのストランドを結ぶ地下鉄道建設の認可を求める個別的法律案(英語版)が議会に提出された。この路線案はハムステッド・ハイ・ストリート、ロズリン・ヒル(英語版)、ヘイバーストック・ヒル、チョーク・ファーム・ロード(英語版)、ハムステッド・ロード、ユーストン・ロード(英語版)を通った後南に向きを変え、トテナム・コート・ロード(英語版)、チャリング・クロス・ロード(英語版)、キング・ウィリアム・ストリート(後のウィリアム4世ストリート)を通ってストランド近くのエイガー・ストリートに至り、ユーストン・ロードの北から東にドラモンド・ストリート(英語版)の下を通ってユーストン、セント・パンクラス及びキングス・クロスに至る支線も併せ、ハムステッド、ベルサイズ・パーク(英語版)、チョーク・ファーム(英語版)、カムデン・タウン、セイモア・ストリート(後にエヴァーショルト・ストリートの一部となる)、ユーストン・ロード、トテナム・コート・ロード、オックスフォード・ストリート、エイガー・ストリート、ユーストン、キングス・クロスに駅を設ける計画とされていた。この時点では電気駆動とするか、ケーブルによる推進とするかの結論は出ていなかったが、ロンドン・アンド・ノースウェスタン鉄道(英語版)のチョーク・ファーム駅(英語版) (後のプリムローズ・ヒル駅)近くのチョーク・ファーム・ロード沿いにあった石炭集積場近くに発電所を設ける計画とされた。 ハムステッド・セントパンクラス・アンド・チャリングクロス鉄道の発案者たちは1890年11月に開業し、初年度から成功を収めた世界初の大深度地下鉄であるシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道(英語:City and South London Railway、C&SLR)の成功に触発されたものであり、1892年の議会会期には他に3つの地下鉄会社の個別的法律案が提出された。統一された思想のもとでの審査を行うため、議会特別委員会(英語版)が設置されている。委員会は大深度地下鉄の建設及び運営に関する様々な問題に対する事例を取り上げ、トンネル直径、列車の動力、通行権の付与についての提言を行った。ユーストンから先の支線以外のハムステッド・セントパンクラス・アンド・チャリングクロス鉄道の路線について委員会は議会に個別的法律案を提出することを認め、社名の変更を経て1893年チャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道法として女王裁可(英語版)を得た。
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