起源およびネグス(チノス)氏との関係
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「タイチウト氏」の記事における「起源およびネグス(チノス)氏との関係」の解説
『元朝秘史』や『集史』が一致して伝える所によると、モンゴル部中興の祖カイドゥ・カンにはバイシンクル・ドクシン、チャラカイ・リンクゥ、チャウジン・オルテゲイという3人の兄弟がおり、チャラカイの息子セングン・ビルゲの息子のアンバガイ・カンからタイチウト氏が生じたという。 『集史』によるとチャラカイはレビラト婚で兄嫁を娶っており、兄嫁との間に生まれたゲンドゥ・チノとウルクチン・チノ兄弟の子孫からネグス/チノス氏(『元朝秘史』ではベスト氏)が生じたという。しかし、アンバガイの父セングン・ビルゲもまた別名をソルカクトゥ・チノと言い、実はチャラカイ・リンクゥの息子は全て「チノ(狼)」を名前としていた。そのため、本来はチャラカイ・リンクゥの子孫全体が「ネグス(チノス)」という氏族名を称していたが、アンバガイの子孫のみが後に有力となって「タイチウト氏」と改称したのではないかと考えられている。 また、『集史』はモンゴル部族が「ネクズ」と「キヤン」という1組の夫婦から生じたと説明しているが、この始祖伝承は『元朝秘史』の伝える「ボルテ・チノ(蒼き狼)」と「コアイ・マラル(白き牝鹿)」がモンゴル部の始祖となったという説話の異説でもある。すなわち、これらの説話は「チノ(狼)」を族霊とするネグス=タイチウト氏と、「マラル(鹿)」を族霊とするキヤン=キヤト[・ボルジギン氏]というモンゴル部族内の2大有力集団をモチーフとして創作されたものと考えられている。
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