起源と結党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 09:33 UTC 版)
第一次世界大戦末期の1918年、ポルトガルが深刻な経済危機に見舞われる中、国内の労働者はストライキを通じて生活闘争を繰り広げ、その結果8時間労働制などを勝ち取るに至った。1919年9月には国内初の労働組合が結成、同年には1917年に発生したロシア革命に触発されポルトガルマルクス主義同盟(FMP)が発足する。ポルトガルマルクス主義同盟の目標は社会主義及び革命思想を鼓吹し、以って労働運動を組織することにあった。結成後しばらくして、労働者の間に「革命的前衛党」を樹立する必要性を感じた同盟員は、コミンテルンの指示を仰ぎながらポルトガル共産党を結成する。1921年3月6日のことである。 ポルトガル共産党は欧州の他の共産主義政党とは異なり、社会民主主義或いは社会主義政党の分派から生まれたのではなく、アナルコサンディカリスムを源流とする。リスボンに初めて党本部を構えると、結党から7ヵ月後には初の党機関紙『共産主義者』(O Comunista)が発行される。1923年11月、リスボンで開催した初の党大会でカルロス・ラテスを初代党首に選出。約100名の党員が参集したこの党大会では、ソビエト連邦との連帯や国内の他の社会主義勢力との共闘を表明した。また、当時国内で台頭しつつあったファシスト勢力に対しては、党や国家に対して脅威になりうるとの声明を出した。
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