起源と翻訳の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 20:54 UTC 版)
「エメラルド・タブレット」の記事における「起源と翻訳の歴史」の解説
『緑玉板』のテクストは、その著者をギリシアの神ヘルメースと古代エジプトの神トートのヘレニズム的 結合であるヘルメス・トリスメギストス(三重に偉大なるヘルメス)としている。古代のものとの主張があるが、6世紀から8世紀の間に書かれたアラビア語の作物と信じられている。このテクストの出典としうる最古のものは、9世紀前半に編纂されたアラビア語の書物 Kitāb sirr al-ḫalīqa (『創造の秘密の書』)、別名 Kitāb al-`ilal (『諸原因の書』) である。この書物はバリーナース(バリーヌース、もしくは擬テュアナのアポロニオス)に帰せられる。この書においてバリーナースは『緑玉板』を古代のヘルメス的知恵に仕立て上げている。かれはテュアナにあるヘルメス像の足下の地下納骨堂で文書を発見し、その納骨堂内では黄金の玉座に即いた古遺体が緑玉の銘板を手にしていた、と読者に語るのである。 バリーナースに続いて、『緑玉板』の初期バージョンがジャービル・イブン・ハイヤーンに帰せられる Kitab Ustuqus al-Uss al-Thani (『基盤の諸元素の第2の書』)に出現した。『緑玉板』は12世紀に『自然の秘められたる原因と事象の隠されたる原因についての書 (Liber de Secretis Naturae et Occultis Rerum Causis)』などを翻訳したサンタリャのウゴ(英語版)(フーゴー・サンクテリエンシス)によって最初にラテン語に翻訳された。緑玉板の別のラテン語テクストは偽アリストテレスの『秘中の秘(英語版)』(アラビア名: Kitab Sirr al-Asrar、12世紀にセビーリャのフアンによって、13世紀にはトリポリのフィリッポスによって翻訳された)の13世紀の増補版にもある。
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