赤木越
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 18:46 UTC 版)
「九十九王子 (田辺市中辺路町)」の記事における「赤木越」の解説
中世の参詣道は、三越峠から音無川源流部の渓谷沿いに下るが、近世には尾根道伝いに約6キロメートルほどで湯峯に抜ける赤木越(あかぎごえ)という間道が使われていた。苦難に満ちた道を行くことに信仰上の意義が見出された中世と異なり、早くは室町時代の頃には熊野参詣道はしばしば容易な通行が可能なルートに付け替えられた。赤木越もそうした例の一つで、本来は杣道であったものが転用された道であった。 今日では、赤木越の道の三越峠寄りに崩落による通行不能箇所があるため、音無川河谷沿いの船玉神社付近から、付け替え道をたどって尾根道へアプローチすることになる。尾根道を進み、献上茶屋跡につく。江戸時代の参詣紀『熊野めぐり』(元文3年〈1738年〉)には赤木越には4箇所の茶屋があると記されており、そのひとつと考えられている。ここから尾根道を登り、一遍上人伝説がある鍋割地蔵を過ぎ、音無川と栗垣内谷の分水嶺を緩やかに下って柿平(かきひら)茶屋跡に着く。ここは江戸時代の複数の参詣紀に見られるところで、前述の『熊野めぐり』のほか、『三熊野参詣道中日記』(延享4年〈1747年〉)、『熊野詣紀行』(寛政10年〈1798年〉)などの例がある。しばらく進み、湯峯の方向を示す指の形が刻銘された自然石道標の傍らを通り、ウバメガシやマツの多い自然林の中の尾根道を進む。行き倒れの旅人を祀った墓石を横に見つつ、小石を敷き詰めた石畳の道を経て、地獄坂と呼ばれる坂を下りきって一遍上人爪書碑の脇に降り立つと、湯峯温泉である。
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