資源バブルによるオイルショック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:36 UTC 版)
「オイルショック」の記事における「資源バブルによるオイルショック」の解説
日本への影響はあまりなかったものの、2004年頃から2008年秋頃にかけ(ピークは2008年)、目立った供給減少を伴わない原油価格高騰が世界的に続いた(資源バブル)。2007年秋から顕著になり、2008年2月にはニューヨークの商業取引所の原油先物市場で100米ドル/バレルを突破。 ピーク時の価格は、第1次・第2次石油危機のピークに比し、名目で3倍を超え、実質でも上回っていた。ただし、第1次・第2次に比べ、価格の上昇速度は緩やかだった。 高騰の原因は、 中国やインドなどBRICsと呼ばれる新興国の経済発展による原油需要の増加 地政学的リスクを背景にした原油先物市場における思惑買い 産油国の生産能力の停滞 先物取引による投機資金の流入 が挙げられるが、その中で最も大きな理由と指摘されているのは、余剰マネーとしての投機的資金が原油の「現物」や「先物」を買い占めていることである[要出典]。世界の金融市場から見ると原油の市場規模は相対的に小さいものであるが、そこに2007年9月から住宅サブプライムローン問題に端を発した米国の不景気から投機的資金が原油市場に流れ込み、「先物」としての原油価格が急騰した。 当時、原油先物相場が史上最高値を更新し続けていたことなどによる原油価格高騰を受け、石油が関係している製品の値上げが相次ぎ、航空機では燃油サーチャージの導入で、さらなる原油価格高騰および値上げ幅の上昇を招いた。 その後、サブプライム問題が世界的な景気の後退を引き起こし、余剰マネー自体が乏しくなり、2008年9月下旬頃より僅か2カ月で、原油価格は半分程度まで大きく落ち込んだ。しかし暫くすると、原油価格は再びゆるやかに回復、2008年のピークには及ばないものの、高値が続いた。物価連動では金融危機後のピークの方が高値だったとする計算もある。 高値は2014年の暴落(逆オイルショック)まで続き、2015年の底値のあと少し回復したが、ピーク時の半値程度の60ドル前後にとどまっている。この(比較的)低値が維持されている要因は、50ドルを超えるとアメリカの休止海底油田が再開することと、新技術であるシェールガス革命が大きい。
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