豊臣秀吉の御伽衆とは? わかりやすく解説

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豊臣秀吉の御伽衆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:44 UTC 版)

御伽衆」の記事における「豊臣秀吉の御伽衆」の解説

豊臣秀吉読み書き不得手であり、それを補うべく耳学問の師として御伽衆多く揃えた。『甫庵太閤記によれば800人もいたという。 秀吉御伽衆主な者は、富田左近大村由己佐久間不干(正勝)、金森法印(長近)、織田有楽斎長益)、小寺休夢(高友)、寺西正勝稲葉重通猪子内匠青木重直新庄直頼木下祐慶、山岡道阿弥滝川雄利生駒忠清、樋口石見守岩井弥三郎万代屋宗安もずやそうあん)、住吉屋宗無、今井宗薫武野宗瓦織田常真(信雄)、織田信重宮部法印(継潤)、有馬中務法印(則頼)、桑山法印西笑承兌古田織部柘植大炊助奥平貞能中川宗半、前波半入、板部岡江雪斎山名禅高豊国)、佐々木四郎六角義賢?)、曽呂利新左衛門伴内)、武田永翁、足利義昭織田信包六角義賢六角義治佐々成政山名堯熙斯波義銀赤松則房細川昭元などが挙げられる。 これら秀吉御伽衆には、主筋である信長の弟や子供織田家旧臣、旧守護家出身の大名隠居した戦国大名旧臣、元将軍豊臣政権の大名といった、かつての目上の者も多く秀吉出自が低い自らが今では位人臣極め由緒ある血筋家柄の者すら従うということ誇示する意図込めていたと言われる。しかし一方で物読み儒僧、堺の町の茶人町人)、太鼓名手などの文化人といった、芸能人物多く多種多様だった秀吉御伽衆として最も有名な者は、山名禅高曽呂利新左衛門であろう。禅高は名門山名家末裔であるが、秀吉家康仕えた際にこの天下人交わした逸話がかなり残っている。曽呂利は(正体不明人物であるが)軽口頓智富み狂歌達人として人気者だった。

※この「豊臣秀吉の御伽衆」の解説は、「御伽衆」の解説の一部です。
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