豊富川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/27 04:03 UTC 版)
豊富川に架けられている橋を上流からあげると、以下の順序で橋が架けられている。 豊永橋は旧東海道に位置して1604年(慶長9年)に施工されて現在はない。 善兵衛の橋は富田中町に位置して片側の欄干のみである。 宮橋は鳥出神社前に位置して1931年(昭和6年)に施工されて1945年(昭和20年)より標識版がない。 みかえり橋は富田旭町に位置して1929年(昭和4年)に施工された。 豊富橋は富田本町の国道1号線に位置して1781年(安永10年~天明元年)に施工された。 塩役橋は、富田新町~ガンガン堤に架かり大正時代に施工された。 平治郎橋は伊藤平治郎の尽力で築かれて、富田一色豊富町~松原地区と富田地区の境界のガンガン堤の間に架かり1908年(明治45年)に施工された。 一色橋は、堺町~ガンガン堤の間に架かり、1979年(昭和54年)に施工された。 海運橋は富田一色本町~ガンガン堤の間に架かり、八風街道の起点の架橋として1756年(宝暦6年)頃に施工された。 豊富川は初期は、鳥出神社前から富田本町を通り伊勢湾へ、直接真っ直ぐ流れていた。塩役橋から支流が海へ流れていた。浜地が高くなり陸地ができているようになり、しだいに北側の富田一色方面へ流れが変更したとの古文書がある。以下の3カ所に水門がある。 平治郎橋から西南方面のJR富田駅周辺の流水。 海運橋から西南方面の旧東洋紡績富田工場周辺の流水。 海運橋から西北方面の四日市市立富洲原小学校西側の茶の水川周辺の流水がガンガン堤の下の水門を通過して塩約運河に流されている。
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