諸常任委員会
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国民公会が立法だけではなく、直接行政に関与できたのは、主として常任委員会を通じてであった。憲法制定議会、立法議会と同じく、国民公会も召集直後から立法及び行政上の目的で議会内に常任の委員会を必要とした。1792年9月28日から1793年5月4日にかけて次々と設立され、法令によってその権限を拡大し、国家を運営した。 委員会は設立順に、24名からなる戦争委員会(陸軍委員会) (fr:Comité militaire ou de la guerre) 、9名からなる憲法委員会(Comité de Constitution)、18名からなる議場委員会 (fr:Comité des commissaires inspecteurs de la salle, du secrétariat et de l'imprimerie) 、24名からなる農業委員会(Comité d'agriculture)、24名からなる地方行政委員会 (fr:Comité de division) 、16名からなる商業委員会(Comité de commerce)、9名からなる法令委員会 (fr:Comité des décrets) 、20名からなる海軍・植民地委員会 (fr:Comité de la marine et des colonies) 、30名からなる保安委員会 (fr:Comité de sûreté générale) 、42名からなる財政委員会 (fr:Comité des finances) 、24名からなる土地委員会 (fr:Comité des domaines) 、9名からなる外交委員会(Comité diplomatique)、24名からなる公教育委員会 (fr:Comité d'instruction publique) 、24名からなる公的救護委員会(Comité de secours publics)、48名からなる立法委員会 (fr:Comité de législation) 、24名からなる清算・監査委員会 (fr:Comité de liquidation et examen de comptes) 、24名からなる陳情書・通信委員会 (fr:Comité de pétitions et de correspondance) 、主要委員会から3名ずつ派遣されて計21名からなる総防衛委員会 (fr:Comité de défense générale) とその後身の公安委員会、12名からなる土木委員会(Comité des ponts et chaussées)、7名からなる輜重委員会(Comité des charrois de l'armée)、7名からなる軍服委員会(Comité de l'habillement des troupes)、8名からなる食糧糧秣委員会(Comité de surveillance des vivres et subsistances militaires)、13名からなる財産委員会(Comité d'aliénation)、さらに議事録委員会(Comité procés-verbaux)、古文書委員会(Comité des archives)、そして各委員会1名ずつから構成される議事運営委員会(Commission centrale)があった。 これらは以後も廃止されたり統合されたりして増減した。また非常任の臨時委員会もしばしば開かれた。すべての委員会では上部組織への出向を除き、委員の兼任を基本的に禁止していた。 これらの諸常任委員会で最も重要な委員会は公安委員会と保安委員会であった。両委員会は革命の両輪として活動し、公安委員会が行政を、保安委員会が司法(警察)を監視した。公安委員会が他の常設委員会よりも優越的な地位であることが決まったのは1793年9月13日の公会の議決であった。これによって公安委員会以外のすべての委員会は改選を命じられ、委員候補者のリストを公安委員会に提出しなければならなかった。諸常任委員会の委員は、公安委員会が承認したリストの中から、公会が指名することになった。すべての委員会は公会への報告義務があり、公会は公安委員会と保安委員会とに毎月末に報告する義務があった。 詳細は「公安委員会 (フランス革命)」および「保安委員会」を参照
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