誘致活動、開催地決定
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「2011年ノルディックスキー世界選手権」の記事における「誘致活動、開催地決定」の解説
2002年、オスロ市とノルウェースキー振興協会は2009年のノルディックスキー世界選手権誘致に向けて始動した。 オスロ市議会は同大会の会場となるホルメンコーレン競技場の改築整備に5,280万ノルウェークローネを投じる決定をした。 2004年6月4日に国際スキー連盟(FIS)総会(於アメリカ合衆国、フロリダ州マイアミ)で投票が行われ、リベレツ(チェコ)11票、オスロ(ノルウェー)4票の大差で決定した。 誘致に失敗したノルウェースキー連盟はすぐに2011年大会の誘致に乗り出した。 ノルウェースキー振興協会はヴィケルスンのフライング台拡張の代わりにホルメンコーレンの北側、オスロウインターパークそばにあるRødkleivaに新しいジャンプ台を建設することを望んだ。 ホルメンコーレンジャンプ競技場は2011年の世界選手権までラージヒルとして使用し、その後はノーマルヒルに改修することとした。 2005年5月、ノルウェースキー連盟の総会で、2011年の世界選手権までにRødkleivaに新しいフライング台とノーマルヒルの台を建設することが評決された。 続いて、2008年に開催が決定されるヴィケルスンで行われる予定の2012年スキーフライング世界選手権について、ノルウェースキー連盟の総会でRødkleivaの計画を2008年までに決定すると決めた。 2005年9月22日、国際スキー連盟(FIS)はオスロが世界選手権とワールドカップ開催するならホルメンコーレンジャンプ競技場の改築が必要であることを明言した。ドイツ、オーベルストドルフのシャッテンベルクシャンツェやオーストリア、インスブルックのベルクイーゼルシャンツェも同様に改築された。 2005年12月、ノルウェー文化遺産総局はランドマーク性と建築としての品質を維持することを条件にスタート塔の解体を許可した。保存にふさわしいのは構造体ではなく活動そのものであると述べた。 ジャンプ台の改築には3億1000万ノルウェークローネかかると見積もられ、政府はそのうち7000万クローネを出資するとした。 2006年5月25日、FISの第45回総会(ポルトガル、ヴィラモウラ)で投票が行われ、イタリアのヴァル・ディ・フィエンメ、ポーランドのザコパネと競った結果オスロ12票、ヴァル・ディ・フィエンメ4票、ザコパネ0票でオスロでの2011年ノルディックスキー世界選手権開催が決定した。 市は新ジャンプ台設計コンペで104件の案からデンマークのJDS/JULIEN DE SMEDT ARCHITECTSによる"Nye Holmenkollen Fyr"を選んだ。この新しい国立競技場の建設費は6億5300万ノルウェークローネと見積もられた。 解体工事は2008年10月16日に始まり、同年12月に完了した。改築工事中のスキージャンプ・ワールドカップはヴィケルスンで代替開催された。 2007年12月12日に市議会で承認された時6億5300万ノルウェークローネと見積もられた予算は、2008年には1億2000万クローネ増加、2008年7月18日に詳細計画がオスロ市議会で承認された時には更に1億8000万クローネ増え、9億クローネを超えた。 コストの圧縮が検討され、ラージヒルの建設費に7億1500万クローネ、ノーマルヒルのミッツトゥンジャンプ競技場、クロスカントリースキースタジアム、インフラの整備を含めた総予算は24億2600万ノルウェークローネとなった。
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