誕生〜1960年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 13:24 UTC 版)
「ロイ・オービソン」の記事における「誕生〜1960年代」の解説
父親の手ほどきでギターを習得し、幼少の頃から地元のラジオやテレビ番組などに出演していた。高校時代に結成していたバンド、ティーン・キングスでの手腕がバディ・ホリーのプロデューサーだったノーマン・ペティに見出され、1955年にシングル「ウービィ・ドゥービィ」でデビュー。その後、1956年から1959年にかけてサン・レコードとRCAビクターでエルヴィス・プレスリーの後釜的存在として活動し、数枚のシングルを発表したが、ヒットには恵まれなかった。 しかし、1959年にモニュメント・レコードへ移籍してからは運気が好転し、一転してヒット曲を連発。在籍していた1959年から1965年にかけて、全米と全英のトップ10チャートにそれぞれ9曲、10曲のシングルを送り込んだ。その中でもとりわけ1964年に発表された「オー・プリティ・ウーマン」は全米・全英チャートで共に1位を獲得し、全世界で400万枚のセールスを記録する大きな成功を収めた。同曲は、1982年にヴァン・ヘイレンによってカバーされて全米トップ20内にランクインするリバイバルとなり、1990年にはゲイリー・マーシャル監督の映画『プリティ・ウーマン』の主題歌として大きな注目を集め、オービソンの数あるヒット曲の中では最も有名な作品となっている。1963年には、当時ブレイクしたばかりのビートルズとのジョイント・ツアーを敢行。以降は、本国のアメリカ以上にイギリスで大きな人気を集め、それは後年まで安定したものとなった。 しかしながら、モニュメント・レコードを離れてメトロ・ゴールドウィン・メイヤーに在籍した1960年代後半以降の活動は不調が続いた。さらに、1966年に妻がオートバイの事故で死去し、2年後には火事で息子のうち2人を失うなど、同時期はプライベートでも大きな悲劇に見舞われている。そんな状況にありながら、1967年にはオービソンの主演映画『The Fastest Guitar Alive』が公開されている。そして1969年、オービソンはバーバラと再婚した。
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