詩人・哲学者としての経歴
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「ムハンマド・イクバール」の記事における「詩人・哲学者としての経歴」の解説
1908年にインドへ戻ると、イクバールはラーホールの政府系大学に職を求めるが、家計の事情もあってか弁護士事務所を開業し、大学の職を辞している。この期間のイクバールの私生活は楽しいものではなく、1916年には離婚も経験している。ただ、イクバールは妻であったビービーとその子供たちを家計面での支援を生涯絶やさなかった。 イクバールは法律の仕事をこなす一方で、精神的・宗教的課題へ関心を集中し始めた。また同時に詩集や文学作品を書いた。イクバールは、ムスリムのインテリ層、作家、詩人、政治家が集まる組織でもある"Anjuman-i-Himayat-i-Islam"(アンジュマネ・ヒマーヤテ・イスラーム/「イスラーム支援協会」)で活発な活動を行うようになり、1919年にはその書記長に就任している。 イクバールの作品に現れる思想は、主に精神面、人間社会の発展に関心が置かれており、彼の西欧及び中東での旅行・滞在からきた経験が中心となっている。イクバールは、ニーチェ、ベルクソン、ゲーテといった西洋の哲学者の影響を受け、まもなく、無神論と物質的追求に支配された西洋社会への批判者となっていく。 13世紀に活躍したタジク人の詩人であるジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー(en:Jalal ad-Din Muhammad Rumi)の詩と哲学は、イクバールに深く精神的な面で影響を与えた。子供のときよりイクバールは敬虔な宗教教育を受けてきたこともあり、イスラーム及びイスラームの文化、歴史、文明論、政治的未来に関心を向けた。また、イクバールはルーミーを文字通り“自らのガイド”と捉えていた(ルーミーの別称であるマウラーナーは「我が師」という意味である)。 イクバールは、自らの詩作やその他の作品でガイドの役割を託すためにルーミーを引用していただろうと思われる。イクバールの作品は、イスラーム文明の過去の栄光を読者に思い起こさせ、社会・政治的な解放や偉大さの源泉としてのイスラームに純粋で精神的な焦点を当てたメッセージを届ける事に重点が置かれていた。 イクバールは、ムスリム国家の間で政治的に分裂している状況を批判し、たびたびムスリム共同体(ウンマ)の一体性を主張している。
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