詩人・高橋 玄一郎
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詩人・高橋 玄一郎は、象徴派を起点として、マルクス主義の影響を受け、独自の前衛的詩論を展開したと評されている。 小岩井源一は、村役場勤務のころから、帰宅すると別室にこもって書きものをするという日常を過ごし、1927年に佐藤惣之助が主宰する『詩之家』の同人となり、1929年に創刊された、竹中久七らの同人誌『リアン』に参加した。村の収入役だった1941年には、『リアン』の関係で、特高警察にスパイ容疑で逮捕され、釈放されて帰宅したのは1943年であった。 1947年に松本中学校以来の友人であったマルクス主義者の永田広志が死去した際には、高橋は追悼する歌を作詞し、無宗教葬において参列者が合唱した。この時の経験は、小説『無宗教葬』に反映されている。 こうした前衛的活動もあって、高橋玄一郎は、長野県における現代詩運動の「草分け的存在」とされる。戦後も、詩人としての活動は継続され、1963年に退職して以降は、初代の長野県詩人協会会長などを務めた。 浅間温泉の神宮寺には詩碑が残されている。
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