小岩井源一
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小岩井 源一(こいわい げんいち、1904年[1] - 1978年1月31日)は、長野県浅間温泉の旅館「香蘭荘」の経営者で、当時の東筑摩郡本郷村の初代公選村長となり、後には助役も務めた[2]。他方では、筆名の高橋 玄一郎(たかはし げんいちろう)として詩人、文学者としても知られた[2]。
- ^ “高橋, 玄一郎, 1904-1978”. 国立国会図書館. 2016年10月16日閲覧。
- ^ a b c d “高橋玄一郎詩碑”. アサマップ/浅間温泉観光協会. 2016年10月16日閲覧。
- ^ a b c 小岩井孝; 佐藤文子. “私の半生 香蘭荘主人 小岩井 孝 1 誕生 長男亡くし家族中から大事に”. 信濃毎日新聞松本専売所. 2016年10月16日閲覧。 - 初出は『タウン情報』
- ^ a b c d 桜井政男 (2016年10月14日). “よみがえる歌 -永田廣志の死去から70年を前に-”. 市民タイムス. "松本中学からの友人であった高橋玄一郎は … 小説「無宗教葬」にこのように残しています。/ 1週間後に行われた無宗教葬で、高橋玄一郎作詞・伊藤正一作曲の【永田先生に】が参列者によって歌われました。"
- ^ a b c 小岩井孝; 佐藤文子. “私の半生 香蘭荘主人 小岩井 孝 3 詩に熱中した父 同人誌活動でスパイ容疑に”. 信濃毎日新聞松本専売所. 2016年10月16日閲覧。 - 初出は『タウン情報』
- ^ 小岩井孝; 佐藤文子. “私の半生 香蘭荘主人 小岩井 孝 6 必死の受験勉強 赤点返上 日大芸術学部に合格”. 信濃毎日新聞松本専売所. 2016年10月16日閲覧。 - 初出は『タウン情報』
- ^ 小岩井孝; 佐藤文子. “私の半生 香蘭荘主人 小岩井 孝 9 深まる友情 何より大切だった仲間たち”. 信濃毎日新聞松本専売所. 2016年10月16日閲覧。 - 初出は『タウン情報』
- ^ a b 小岩井孝; 佐藤文子. “私の半生 香蘭荘主人 小岩井 孝 11 萩原氏後援会 国際卓球連会長をもり立てる”. 信濃毎日新聞松本専売所. 2016年10月16日閲覧。 - 初出は『タウン情報』
- ^ a b c “高橋玄一郎氏(本名・小岩井源一=詩人)死去”. 読売新聞・朝刊: p. 21. (1978年2月2日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ 小岩井孝; 佐藤文子. “私の半生 香蘭荘主人 小岩井 孝 4 世間の目 いったんは死も考えた母”. 信濃毎日新聞松本専売所. 2016年10月16日閲覧。 - 初出は『タウン情報』
- ^ 山本勝夫『山嶺の星座(上・下)』電算出版企画、1997年。
- ^ “「山嶺の星座」山本勝夫著 ”. 読売新聞・朝刊: p. 11. (1997年10月26日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
- 1 小岩井源一とは
- 2 小岩井源一の概要
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