試験に出るどうでしょう 日本史
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「水曜どうでしょうの企画 (日本国内)」の記事における「試験に出るどうでしょう 日本史」の解説
2002年1月30日 - 3月6日放送、全6夜。 DVD第25弾『5周年記念特別企画 札幌〜博多 3夜連続深夜バスだけの旅/試験に出るどうでしょう 日本史』に収録。 今回は安田だけでなく、鈴井も何も知らされない状態で生徒として参加。D陣は大泉に対し事前に大量の参考書やマンガを渡し(大泉曰く「受験生かというくらいの量(を渡された)」)、3人で企画を進めていった。大泉が「高校地理歴史」の教員免許を取得していること、また本人が「歴史が得意」という意見を採用し、日本史がテーマ。主な題材は「織田信長」で他に先土器文化から弥生時代までの遺跡が試験範囲に含まれた。 「3日間の校長・大泉による講義」「終了後にテストを実施」の流れは前回同様だが、大泉・藤村D・嬉野Dの3名で行っていた四国巡礼について、今回から「不合格の場合生徒(鈴井・安田)も巡礼」と変更されている。テストは全10問だったが、結果は安田が4問目、鈴井が9問目で不正解となり、大泉と共に3度目の四国巡礼が決定した。 行程 愛知県清洲町(現:清須市)→名古屋市熱田区→愛知県豊明市→滋賀県湖北町(現:長浜市)→滋賀県浅井町(現:長浜市)→愛知県鳳来町(現:新城市)→京都市中京区→兵庫県有馬温泉(神戸市北区)で試験を行う。 第2夜に出てくるテロップ「禅照寺」は北海道にある寺院であり間違い。正しくは善照寺、史実では一般に善照寺砦と言われ善照寺とは全くの別物である。また今川義元を討ったのは服部一忠(通称:小平太)と解説されているが、「一番槍をつけた者」であり実際は返り討ちにされ、その後毛利良勝が討ったとする説が有力。 第4問では「家康と連合軍を組んで武田信玄と対決」の部分が誤りであり、説明で「×家康と連合軍→○家康単独」とテロップに出ているが、正確には信長本隊ではないものの佐久間右衛門尉(佐久間信盛)ら三千から二万の兵を織田信長は派遣している(三千とする説が有力だが資料によって差異が見られる)。よって強ち「×」とも言えなくはない。詳しくは「三方ヶ原の戦い」を参照。 第2夜では「岩宿遺跡」を大泉は「いわしゅく」と呼んでいるが「いわじゅく」が正しい。また第3夜では「浅井氏」を「あさい」と藤村らが呼んでいるが正しくは「あざい」である。それぞれ「岩宿遺跡」「浅井氏」を参照。
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