設立前夜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 05:59 UTC 版)
オスマン帝国の弱体化に伴い、ロシア、イギリス、フランスの欧州列強三国による覇権争い、いわゆる東方問題が発生していた。その中、ギリシャは1774年にロシア、オスマン帝国間でキュチュク・カイナルジャ条約が結ばれたことにより恩恵を受ける事となり、ロシアの保護を得たギリシャ商人らの活動が活発化することとなった。そしてフランス革命が勃発したことにより地中海東部からフランス商人らが消えたことにより、その代わりをギリシャ商人が務めることとなった。 これらの活動は「トルコの軛(くびき)」から抜け出しており、ギリシャ人らに独立の気運を高める事となった。そして1800年、ロシアの保護下ではあったがイオニア七島連邦国が短期間ながらも設立され、憲法の制定などの政治的権利がギリシャ人らに与えられたことはギリシャが独立へ向かう一歩となった。 その最中、18世紀末のウィーンにおいて、フランス革命の影響を受けたリガス・ヴェレスティンリスはギリシャ独立を目指して秘密結社を組織した。ヴェレンスティンリスはフランスで力を増しヨーロッパを席巻していたナポレオン・ボナパルトがギリシャに入った際には蜂起することを計画していた。 ヴェレンスティンリスは『ルメリ、小アジア、エーゲ海諸島、およびワラキア・モルドヴァ住民の新政治体制』を著しオスマン帝国からのバルカン諸民族を解放してギリシャ共和国を建国する意図を持っていたが、これはオスマン帝国の知るところとなり、ヴェレンスティンリスは逮捕され絞首刑に処された。 しかし、この意思はギリシャの人々に受け継がれ、1809年にパリでヘリノグロッソン・クセノドキオ(ギリシャ語ホテルの意味) (en) や1812年にはアテネでフィロムソスといった秘密結社が設立され、さらに1814年、ウィーン会議の最中、バイエルンのルートヴィッヒ1世やロシアのアレクサンドル1世ら著名なギリシャ独立支持者らによって支援を受けたフィロムソス・エテリア(フィロムーソス協会とも)が設立され、ロシア外交官でギリシャ人のイオアニス・カポディストリアスが会長に就任していた。 その秘密結社の中で最も重要な存在となったのがフィリキ・エテリアであった。
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