設立及び初期の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/02/28 14:26 UTC 版)
「マナサスギャップ鉄道」の記事における「設立及び初期の歴史」の解説
バージニア州政府からの資金援助を受け、路線建設は1851年にプリンスウィリアム郡にあるオレンジ・アンド・アレクサンドリア鉄道のチューダーホール(Tudor Hall)(鉄道完成後、チューダーホールはマナサス・ジャンクションと呼ばれるようになる)から西に向かって開始され、ブルーリッジ山脈のマナサスギャップ(Manassas Gap、標高887フィートの峠)を通過してシェナンドー渓谷へと延びていった。ストラスバーグ(Strasburg)までの61マイルは1854年に完成し、終点のシェナンドー郡マウント・ジャクソン(Mount Jackson)までは1859年に完成した。 当初の計画では、ラウドン郡を通過して、ハーパーズ・フェリーでボルチモア・アンド・オハイオ鉄道に連絡する支線も含まれていたが、資金難と南北戦争の勃発により実現しなかった。 1854年からは、ゲインズヴィル(Gainesville)からアレクサンドリアまでの35マイルの地ならしも行われたが、資金難と南北戦争のためレールの敷設は行われなかった。この区間はオレンジ・アンド・アレクサンドリア鉄道の路線を利用し、マナサスギャップ鉄道はその使用料を払っていたが、これと並行して走る「独立線」を敷設して使用料を不要にすることを目的としたものである。後にオレンジ・アンド・アレクサンドリア鉄度とマナサスギャップ鉄道が合併したために、不要となった。現在でも、この廃棄された鉄道の跡がフェアファックス郡のところどころに残っている。 マナサスギャップ鉄道は4フィート8インチ1/2(1,435 mm)の標準軌を使用しており、路線のうち38マイル (61 km)は重量60ポンド/ヤードの平底レールが、52マイル (84 km)にはやや軽い重量52ポンド/ヤードの平底レールが使用された。全長90マイル、20駅の路線で、9両の蒸気機関車と325両の客車・貨車が運用された。 マナサスギャップ鉄道の駅一覧StationDistanceマナサス・ジャンクション0マイル (0 km) ゲインズヴィル(Gainesville)8マイル (13 km) サーロフェアー(Thoroughfare14マイル (23 km) ブロードラン(Broad Run)17マイル (27 km) ザ・プレインズ(The Plains)20マイル (32 km) レクター・タウン(Rectortown)30マイル (48 km) ピードモント(現Delaplane)34マイル (55 km) マーカム(Markham)38マイル (61 km) リンデン(Linden)43マイル (69 km) ハッピー・クリーク(Happy Creek) ? miles フロント・ロイヤル(Front Royal)51マイル (82 km) リバートン(Riverton) ? miles バックトン(Buckton)56マイル (90 km) ウォーターリック(Waterlick) ? miles ストラスバーグ(Strasburg)61マイル (98 km) トムスブルック(Toms Brook)68マイル (109 km) ウッドストック(Woodstock)75マイル (121 km) エディンバーグ(Edinburg)81マイル (130 km) マウント・ジャクソン(Mount Jackson)87マイル (140 km)
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