イオニア七島連邦国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/18 07:47 UTC 版)
イオニア七島連邦国(イオニアななしまれんぽうこく、ギリシア語: Ἑπτάνησος Πολιτεία、イタリア語: Repubblica Settinsulare)は、ギリシャ、イオニア諸島の島7つで構成された、前半はオスマン帝国が宗主権、ロシア帝国が保護権を持ち、後半はフランス帝国が支配権を持っていた、短期間存在した国家のことである。
注釈
- ^ 詳細に説明すると1386年から1797年までヴェネツィアが支配、1797年から1800年までがフランス、1800年から1807年がイオニア七島連邦国(事実上のオスマン帝国、ロシア帝国の共同統治)、1807年、フランス、1809年から1810年、1814年から1864年がイギリスと支配国が変遷を遂げ、最終的にギリシャ領になったのは1864年であった[3] 。
- ^ テペデレンリ・アリー・パシャ(1750年? - 1822年)、イオニアやアルバニアを中心として勢力を誇った地方豪族。オスマン帝国からは半ば独立状態であったが、フランスやイギリスと独自の外交を行ったため、オスマン帝国の反感を買い、1822年、オスマン軍の攻撃により殺害された。彼は過酷な支配から『イオアニアのライオン』と呼ばれていた[4] 。
- ^ ナポレオンは「ケルキラ、ザキントス、ケファロニアの島々はイタリア全土以上に我々の利害関係がある」と執政府に語った[5]。
- ^ ただし、これはアリ・パシャがイオニア諸島に触手を伸ばす事を防ぐために行なわれたとする説がある[7]。
脚注
- 1 イオニア七島連邦国とは
- 2 イオニア七島連邦国の概要
- 3 歴史
- 4 意義
固有名詞の分類
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