記録の扱い
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「関西六大学野球連盟 (旧連盟)」の記事における「記録の扱い」の解説
5つの連盟が併存することが決定したあと、連合設立前と連合時代の関西六大学野球の記録と歴史に関しては、関西学生と新関六が共有することとなったため、双方が記録と歴史の継承権を持っていることになっている。 また、連合時代に下部リーグ扱いであった近畿・阪神・京滋の3連盟についても、連合時代にそれぞれの運営で行われていた試合の記録と歴史はそれぞれが継承している。 なお、現在においては関西学生と関西六大学それぞれの加盟校で連合時代に下部連盟へ降格していた時代の記録は、それぞれの当時の所属連盟の記録として管理されている。そのため、関西の学生野球を記録で追いかける場合、様々な大学が入り乱れて登場し一見して混乱するが、これは前述のような複雑な統廃合の歴史の経緯があるためである。
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記録の扱い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 04:51 UTC 版)
参戦数など、BMWザウバーチームの記録の扱いについてはいくつかの混乱が見られるが、2006年の参戦開始時においては、F1の主催者であるFIAによる2つの公式サイト上のどちらでも、BMWザウバーの記録欄はザウバーのそれを引き継ぐ形となっており、BMWザウバーとザウバーは同一のチームとされている。 コンストラクター登録は「Sauber」(2006年)「BMW」(2007年)「BMW Sauber」(2008-2009年)と変化しているが、現在のF1においては参戦チーム=コンストラクターであるため、チームの記録とコンストラクターの記録を分けて考えることは誤りである。同様の例として、レッドブル・レーシングが年によって「Redbull」「RBR」と登録名が変わっているが、これらが別のコンストラクターとして理解されることはない。 BMWは1952年と1953年のドイツGPの2戦だけ、自社名義で単独参戦しており、1952年には決勝12位、1953年には14位と15位でそれぞれ完走を記録している。この2戦の扱いについては「BMW」と「BMWザウバー」として別記録として扱うことが一般的である。
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