記録の終わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 18:00 UTC 版)
ジョー・マッカーシー監督は球団首脳部からのゲーリッグをベンチに下げろとの圧力には従わなかったが、ゲーリッグ自身は次第に一塁守備を普通にこなすことも難しくなった。2130試合目の連続出場となった1939年4月30日のワシントン・セネターズ戦では無安打に終わった。この試合で普通のゴロを捕り、一塁ベースに入った投手ジョニー・マーフィーにトスしてアウトにしたが、これを見た二塁手のジョー・ゴードン、捕手のビル・ディッキーが口々にゲーリッグにナイスプレーと言って元気づけた。ごく当たり前のプレーなのにと感じたゲーリッグは引退の潮時とばかり、2日後の5月2日に自ら監督のもとに出向き「俺は下がるよ、ジョー」と伝えた。マッカーシーはこれを承諾し、代わりにエルスワース・ダールグレンを一塁手として起用。ゲーリッグには、もし出たくなったらいつでも出すと伝えた。 責任審判にその日のラインアップ表を渡したのもゲーリッグ自身であったが、この日で彼の14年間に及ぶ大記録は終わり、試合前にタイガー・スタジアムのアナウンサーは「皆さん、これは2130試合ぶりにルー・ゲーリッグが試合に出ない日です」と述べた。 デトロイトの観客はベンチにいるゲーリッグにスタンディングオベーションで大記録の終焉(しゅうえん)を称え、ゲーリッグ本人は涙を浮かべた。
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