解体と土地再開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 04:33 UTC 版)
「ベルリン・スポーツ宮殿」の記事における「解体と土地再開発」の解説
催事会場としてもはや経済的に立ち行かなくなったスポーツ宮殿だったが、国からの支援はなかった。このような厳しい経営環境の中、経営者が事故で急逝すると、スポーツ宮殿は1973年に売却され、同年11月13日に集合住宅建設計画のため取り壊された。 支援プログラムの下で跡地に建設された社会住宅(ドイツ語版)・パラセウム(ドイツ語版)は、ベルリンの俗語(ドイツ語版)では「社会宮殿 (Sozialpalast)」と呼ばれる。建物は10階建ての高層建築で、階ごとに廊下が設けられ、ポツダム通りに沿って長く建てられた。この一直線に伸びる建築は、スポーツ宮殿の跡地(パラス通り北側)からパラス通り高層防空壕(ドイツ語版)(通称「スポーツ宮殿防空壕」、パラス通り (Pallasstraße) 南側)に達する。パラス通り自体にもコンクリート構造物で橋が架けられ、公共交通に妨げられずに通り抜けできるようになっている。 前述の高層防空壕とは、第二次世界大戦中に建設された5階建ての建築物である。ドイツ内外の各地に築かれた、地表設置型防空避難施設(ホーホブンカー)のうちのひとつであった。1945年以降、何度か取り壊しが計画されたが、堅牢な構造のため実施されなかった(大規模な爆破解体を行えば、周辺の建物に大きな被害を与えてしまう)。その間に増築や改修を受け、非常時には約4800人を収容できる西ベルリン最大級の避難施設として維持管理されつつ、映画「ベルリン・天使の詩」やミュージックビデオのロケ地としても利用された。2010年に民間防衛施設の指定を解除され、翌2011年以降は史跡として保護されている。
※この「解体と土地再開発」の解説は、「ベルリン・スポーツ宮殿」の解説の一部です。
「解体と土地再開発」を含む「ベルリン・スポーツ宮殿」の記事については、「ベルリン・スポーツ宮殿」の概要を参照ください。
- 解体と土地再開発のページへのリンク