解体とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 04:55 UTC 版)
第一次世界大戦後の共和政時代(ヴァイマル共和政、ナチス政権期)、ユンカーは旧態依然の存在を見なされ、冷遇される向きもあったが、抜本的な農地改革や軍の機構改革は行われなかったため、影響力を残した。軍の中枢部も国防軍に改組されてからも独占し続け、ヒトラーの独裁体制の一助となった。しかし第二次世界大戦後にドイツ東部が赤軍に占領されたことで、徹底的な農地改革が行われ、ユンカーも完全に解体されるに至った。それに伴い、ユンカーの邸宅の多くが接収のうえ破壊された。 国外へ亡命を余儀なくされた元ユンカーたちは1990年のドイツ再統一に伴って帰国し、一部はソ連に奪われた元領地の回復を試みた。しかしドイツの司法当局はドイツ最終規定条約を根拠とし、ソ連による農地解放を支持する形で元ユンカーたちの訴えを却下し、2006年9月にエルンスト・アウグスト・フォン・ハノーファーが敗訴したのを最後に訴訟の動きはやんだ。その後も名誉回復の請願が行われたが、2008年にドイツ連邦議会により却下されている。しかし、一部の元ユンカーは元領地を買い戻したり、残された邸宅を現在の所有者から借りるなどしている。
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