解体と崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 01:08 UTC 版)
ザドルガ自体の解体は長い時間をかけた話し合いにより行なわれるが、ボスニア・ヘルツェコビナではザドルガの分割については特定の月、もしくは特定の週、特定の日が慣習によって決まっていた。ザドルガの所持する財産の分割は通常、立会い人、仲裁人が介入することになり、家屋、家具、耕作地、非耕作地、家畜、農作業用の道具、貯蔵食料、羊毛などがその対象となった。ただし「ウリャニク(蜂の巣のある場所)」だけは分割されずに竈を守る人が受け継ぎ、また、果樹園、果樹、脱穀所は共有財産として扱われる事もあった。ただし、分裂した家族が同じ家屋を分け合うことがあった。 しかし、ザドルガが分解した後もその生活様式が残されることとなり、ザドルガから分裂した各核家族が強い血縁関係からお互いに協力を行う事があった。ただし、この協力関係は家族の規模や受け取る収穫の受け前がどうであれ、払う税金が同じ額であった関係からお互いに満足できるものでない場合もあった。 ザドルガの崩壊はザドルガの人々の三世代目が適齢期に結婚することにより自然に始まった。
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