解体に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/09 06:54 UTC 版)
2009年6月時点で、建物は高岡市が所有していた。市は高額な維持管理費や老朽化、耐震強度の懸念を理由に本館、別館、新館の3館を解体する意向を2008年に示した。これに対し、市民や専門家の間から本館の保存を求める声が上がり、2008年5月に「本丸会館とまちづくりの会」が結成された。 2011年12月、市民団体「高岡の生きた遺産をまもる会」が山町筋重要伝統的建造物群保存地区住民を中心に結成され、本丸会館が高岡御車山祭のユネスコ無形文化遺産登録に必要不可欠な存在である(認定済の既存の山車祭との差別化)として全面的な保存活用を求めた。 しかし、市は解体の方針を変更することはなく、2012年1月に解体業者が落札によって決定し、前記の通り同年中に解体された。
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