解体と保存
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 00:27 UTC 版)
望遠鏡の骨組みは1839年末にウィリアム・ハーシェルの息子のジョン・ハーシェルによって、南アフリカでの観測から帰国後に解体された。骨組みが老朽化しており、安全のために解体したとされる。解体にあたり、ささやかな儀式が行われたとされる。 取り外された鏡筒は庭に横たえられ、両端を石のブロックで支えられていたが、1866年に倒木によって破壊された。主鏡側から10-フート (3.0 m)の部分の全長3,048x1,465 mm (120" x 57.7") のみ残存した。この残骸は1955年の時点で観測小屋の庭に放置されていたが、その後何度か移動されて現在はロンドンのグリニッジ天文台内の国立海事博物館 (イギリス)(英語版)のハーシェル・コレクションに収蔵されている。 第1の主鏡が最後に研磨されたのは1797年だった。1840年にジョン・ハーシェルは40フィート望遠鏡を含む複数の機材を観測小屋からホークファースト(英語版)に移動した。1927年3月4日に第1の主鏡はCottage図書館に移され、130数年ぶりに磨かれた。現在はロンドンのサイエンス・ミュージアムに収蔵されている。第2の主鏡は解体時に望遠鏡内の所定の位置にあったが、鏡筒が破損したときに外され、1871年に観測小屋のホールに移された。 望遠鏡の模型と同様に初期の木製の骨組みの望遠鏡の写真がハーシェル天文博物館(英語版)で展示されている。
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