観光需要の模索と伏木万葉大橋開通に伴う廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 04:44 UTC 版)
「如意の渡し」の記事における「観光需要の模索と伏木万葉大橋開通に伴う廃止」の解説
1989年(平成元年)11月に待合所が改築され、老朽化した「ニュー二上丸」とほぼ同じ大きさの「如意の渡し丸」が、伏木造船によって建造された。高岡市や新湊市ではこの設備更新にあたって、「如意の渡し以来の歴史的風景を観光資源に活用したい」との意向を表明している。これによって、1990年(平成2年)9月26日には伏木側の待合所近辺に義経と弁慶の像が設置された。渡船の生き残りをかけて観光需要の掘り起こしを図るべく、周辺観光地と絡めた宣伝がなされ、氷見線や万葉線と共通のフリー乗車券の販売も行われた。 一連の設備更新や観光需要の掘り起こしによって1988年(昭和63年)に4万1500人であった旅客は、1993年(平成5年)には6万1423人にまで増加したが、以降は再び減少に転じ、高岡市は毎年欠損金の補助を行うこととなった。その後も旅客の減少に歯止めはかからず、2005年(平成17年)頃には1日の旅客が100人前後と最盛期の20分の1にまで落ち込んだ。「如意の渡し丸」も老朽化し、高岡市や射水市もこれ以上の補助を行うことは難しくなっていた。 2003年(平成15年)度に着工した伏木万葉大橋が開通する見込みとなった2008年(平成20年)11月8日、高岡市は市議会決算特別委員会において、伏木万葉大橋の完成に伴い渡船の運航を終了する旨を表明した。そして2009年(平成21年)8月2日、同日開通した伏木万葉大橋にその使命を譲り、運航を終了した。運航最終日の8月2日は無料で運航され、地元住民等が写真撮影を行い、名残を惜しんだ。 渡船の廃止に伴い、待合所近辺に設置されていた義経と弁慶の像は、2017年(平成29年)7月21日に伏木駅前に移設された。
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