裁定による採択
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/11 05:57 UTC 版)
「アイスランドのキリスト教化」の記事における「裁定による採択」の解説
この状況は、次の夏(1000年)の、アイスランド共和国の政治的な中枢であるアルシングの会議の間に頂点に達した。調停者が介入するまでは、対抗する2つの宗教の支持者の間で戦いが起こる可能性があるようだった。ギツールとヒャルティはキリスト教を受け入れるように人々に訴えた。しかし旧来の宗教を信仰する人々も主張を変えなかったため、問題は裁定の場に持ち出された。アルシングにおける法の宣言者(英語版)、リョーサンヴァトン(Ljósavatn)のゴジ、トルゲイルは、穏健で分別ある男性として知られており、調停者としては双方が容認できる人物であった。シーダのハルが彼に銀貨を持参し、双方が納得できるような決定をしてほしいと頼んだ。トルゲイルはアイスランド人がキリスト教徒にならなければならないかどうかを決定することに対する責任を引き受けた。調停することに同意すると、トルゲイルは毛皮の毛布を被って休むことに1日と1夜を費やし、考え続けた。 次の日にトルゲイルは、幼児の遺棄と馬肉を食べることに関する古いしきたりを残し、また人目につかない異教の崇拝を容認するという条件をつけた上で、アイスランド人はキリスト教徒になるべきであると告げた。人々はトルゲイルの決定に従って洗礼を施された。自身は異教の聖職者であったトルゲイルは、彼の持つ異教の神像をとって、それらを大きな滝に投げ入れた。その故事によって、滝は現在、「神の滝」(ゴーザフォス。アイスランド語: Goðafoss)として知られている。 アイスランドでの改宗の問題はこのように解決された。内戦は裁定を通して避けられた。アイスランドのこの平和的な採択はさまざまな点で注目に値する。というのは、ノルウェーの場合は完全にキリスト教化される前には人々の間で数十年間の争いが続いたのである。また、オーラブ王の死後には異教の信仰に立ち返っていった。しかしアイスランドではキリスト教の信仰が守られ続けた。これらのことは、アイスランドの主要なゴジ、族長が、内戦よりも宗教的な変化(en)を優先させたためということで説明がつく。
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