藤井 (壬生町)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/03 08:58 UTC 版)
藤井 | |
---|---|
— 大字 — | |
県立壬生高等学校 | |
|
|
座標: 北緯36度24分58.40秒 東経139度48分56.02秒 / 北緯36.4162222度 東経139.8155611度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
郡 | 下都賀郡 |
市町村 | |
地区 | 壬生地区 |
人口 (2017年(平成29年)7月31日現在)[1] | |
- 計 | 1,292人 |
等時帯 | JST (UTC+9) |
郵便番号 | 321-0221 |
市外局番 | 0282(栃木MA) |
ナンバープレート | 宇都宮 |
※座標は町立藤井小学校付近 |
藤井(ふじい)は、栃木県下都賀郡壬生町の地名。郵便番号は321-0221(壬生郵便局管区)。
目次
地理
壬生町南東部にあたり、黒川左岸の台地上に位置する。東で下野市上台・下野市細谷・下野市橋本・下野市箕輪、南で下野市国分寺・下野市川中子、西で壬生乙・大光寺町、北で壬生甲と隣接する。東および南を下野市、西を栃木市と接しており、北部を東西に国道352号(日光西街道)が通過する。
地内は多くが水田地帯であり、そのほかの特産物としてカンピョウがある。
河川
歴史
戦国時代の頃より都賀郡の地名として見られる。当時は壬生氏の領地であり、円照寺付近には壬生氏の支城であった藤井城があった。江戸期には壬生五河岸のひとつとして黒川東岸に藤井河岸が作られ、年貢米の積み出しに使われた。1873年(明治6年)に藤井学舎が創立される。藤井学舎はその後壬生小学校藤井分教場と名前を変え、藤井尋常小学校、のちに藤井小学校となった。
沿革
地名の由来
集落に藤の木があったことから。
世帯数と人口
2017年(平成29年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
藤井 | 483世帯 | 1,292人 |
交通
鉄道
藤井地内の西端を東武宇都宮線が通過しているが駅はない。最寄駅は壬生駅となる。
道路
- 国道352号(日光西街道):藤井北部を東西に通過する。東は下野市・真岡市方面、西は壬生市街・鹿沼市方面へ連絡する。
- 栃木県道183号下野壬生線:藤井中央部を東西に通過する。東は下野市、西は壬生市街方面へ連絡する。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[2]。
地区 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 壬生町立藤井小学校 | 壬生町立壬生中学校 |
施設
教育
- 栃木県立壬生高等学校
- 壬生町立藤井小学校
医療
- 壬生東診療所
史跡
- 円照寺
- 吾妻古墳
- 秩父王峯神社
脚注
- ^ a b “町名別住民基本台帳人口”. 壬生町 (2017年8月3日). 2017年9月3日閲覧。
- ^ 壬生町学校区割図 壬生町
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 9 栃木県』、角川書店、1984年 ISBN 4-04-001090-6、785-786ページ。
|
「藤井 (壬生町)」の例文・使い方・用例・文例
- 株式会社岡田総合研究所のIT業務推進課の藤井と申します。
- 私、藤井開発株式会社の輸出部の加藤と申します。
- 藤井寺市という市
- 藤井拓(たく)郎(ろう)選手が最後の100メートルを耐え,オーストラリアを振り切って銀メダルを手にした。
- 12月24日,プロ棋(き)士(し)の藤井聡(そう)太(た)四段が東京の将棋会館で行われたデビュー戦で勝利した。
- 14歳5か月で,藤井四段はプロの対局で勝利した最年少の棋士となった。
- 藤井四段は昨年10月に14歳2か月でプロになり,史上最年少のプロ棋士となった。
- 藤井四段は「対局に勝ててうれしいが,反省すべき点がたくさんある。」と話した。
- 加藤九段は「藤井さんに非常にうまく負かされた。彼は対戦相手の手を予測するのがうまく,積極的に攻める。彼はとても才能のある棋士だ。」と話した。
- 藤井_(壬生町)のページへのリンク