菅原古墳群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 01:16 UTC 版)
菅原古墳群は、岡嶺丘陵の東側斜面にある古墳群(群集墳)。前方後円墳1基(31号墳)・円墳100基以上から構成されたが、現在は多くが失われている。 江戸時代中期には約150基、調査以前には108基の古墳が存在したというが、1960年(昭和35年)の調査時点では30基のみが確認されている。1909年(明治42年)に坪井正五郎・梅山寿三郎、1929-1930年(昭和4-5年)に後藤守一・小松芳春らによって、円墳7基の調査が実施されている。調査によれば、埋葬施設は横穴式石室を主体とする古墳群と見られる。また副葬品として、鉄刀・鉄鏃・刀子・馬具・玉類・金環・銀環・アスファルト玉が検出されている。営造時期は古墳時代後期の6世紀代と推定され、宮口古墳群(国の史跡)・水科古墳群(国の史跡)などとともに頸城平野東部における後期群集墳の1つになる。 古墳群のうち、上述の31号墳(菅原古墳)は新潟県指定史跡に指定されているほか、1号墳と16号墳石室(清里区総合事務所付近に移転復元:附指定)は上越市指定史跡に指定され、古墳群からの出土品は上越市指定有形文化財に指定されている。 出土品(一部は上越市指定有形文化財)牧歴史民俗資料館展示。 出土品(森成コレクション)牧歴史民俗資料館展示。
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