英軍に鹵獲されたFw 190
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「フォッケウルフ Fw190」の記事における「英軍に鹵獲されたFw 190」の解説
1942年、Fw 190の出現により劣勢に立ったイギリス空軍は、Fw 190の秘密解明のため特殊部隊を使ってFw 190を盗み出す、というエアシーフ(空の泥棒)作戦を立案した。この作戦は、決行直前の6月23日、ベンブレイの英空軍基地へ1機のFw 190が誤って着陸したことで中止された。搭乗していたのは、ドイツ第2戦闘航空団所属のファーベル大尉であった。投降説もあるが、着陸前に戦果を示すダイブをしている事から方向を見誤りフランスのドイツ基地と誤認したのだろうといわれている。本機は、生産されたばかりの真新しい機体であったという。 この時、鹵獲されたFw 190を調査した英空軍は、その行き届いた設計やコマンドゲレートに感心し、開発中の新型戦闘機ホーカー シーフューリーに対していくつかの設計変更を行った。 このA-3型を鹵獲したイギリス軍は半年にわたってそれをテストしたが、視界は良好でありコックピット内の配置は合理的、またスピットファイアMk. Vと比較すると、高度7600m以下では常にFw 190の方が優速であり、上昇性能、降下性能共に勝っており、加速力、横転速度も良く、スピットファイアが勝るところは旋回性能だけであったという。ただし新型のスピットファイアMk. IXではその差は縮まっているか、あるいは対等に戦える事が確認された またアリソン・エンジン社製エンジン装備のP-51A(初期型)との比較では、上昇力でFw 190が勝り旋回力はP-51、降下速度は互角であった。速度・上昇力については、連合軍のほとんどの戦闘機より優れていたという。 その後新たに鹵獲したA-4型とP-38Fとの比較などが行なわれているが、最高速度は6700m以上、上昇力では6100m以上でP-38Fが優位に立てたなどと記録されている。1945年1月にはD-9型が鹵獲されたが、この頃には既に連合国が圧倒的な航空優勢を築いていたためか、あまり本格的なテストはおこなわれなかったようである。文献では速度、運動性は連合軍の最新鋭機と同等かそれ以上であるが操縦性が良くないとされている。
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