英軍の移動に関する報告書の入手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 02:45 UTC 版)
「篠崎スパイ事件」の記事における「英軍の移動に関する報告書の入手」の解説
篠崎の2つ目の容疑に関して、特高科は1940年9月21日に日本領事館の建物内の篠崎の事務所の捜索を行った際に、英国陸軍と軍用機の移動に関する3つの報告書を押収していた。 特高科は同年10月18日に行った地元の日本語紙の記者・「柏原きつじ」の自宅の捜索の際に、類似の用紙・筆跡による3つの報告書を発見し、翌19日に報告書を篠崎に渡した公職守秘法違反容疑で柏原を逮捕・告発した。 その後、特高科は柏原が篠崎に報告書を渡したことの立証を諦めて10月21日に柏原の容疑を国防規制違反に切替え、柏原が提訴したため、裁判が行われることになった。 同年11月1日にシンガポール治安第2法廷で行われた裁判で、柏原は海峡植民地の国防の障害となる方法で英国陸軍と軍用機の移動に関する報告書を入手したとして、国防規制違反により禁錮2ヵ月と国外追放処分の判決を受けた。 10月30日に行われた篠崎の裁判の予審に出廷した英国空軍の戦隊長兼空軍情報官は、3つの報告書のうち1つは軍事機密に該当すると証言し、11月1日に行われた柏原の裁判で治安判事は、3つの報告書のうち2つは一般的な噂に基づく記事であり、新聞記者という柏原の職分に照らして報告書の作成に問題があったと思わないとしたが、残る1つの報告書の情報の入手方法に違法性を認めた。 柏原の事件の判決を受けて、篠崎の巡回裁判では、弁護側の申し立てにより容疑事実が3つの報告書の入手からこの1つの報告書の入手に変更された。
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