英軍の降伏後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 20:38 UTC 版)
21日、日本軍はニコルソン山中において貯水池を発見した。数人の中国人が給水施設を動かしていたが直ちに停止させ、たちまち香港市街は全面断水となった。同日、ようやく日本軍はニコルソン山の南北の線に沿って戦線を構築し、22日には香港ホテルを奪取してイギリス軍を東西に分断した。 さらに数日激戦が続き、第23軍将兵が前途なお多難の戦闘を覚悟しつつあった25日17時50分、香港島西部の陣地にあったヤング総督とマルトビイ少将が遂に白旗を掲げた。19時30分、日本陸海軍司令官は停戦を命じ、ここに香港の戦いは終わった。この日は香港人に「黒いクリスマス」と呼ばれている。 降伏の交渉は日本軍が司令部を置いていた「ペニンシュラホテル」の3階で行われた。香港島内における戦いで、日本軍は戦死683名、戦傷1,413名を出した。イギリス軍の戦死は1,555名、捕虜は戦闘間1,452名、戦闘後9,495名であった。 日本放送協会では、1941年の除夜の鐘のラジオ放送を中止し、香港攻略時の砲声の録音を流すことを決定した。
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