若宮家
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若宮 周一(わかみや しゅういち) 若手歌舞伎俳優で胡蝶の愛人の一人。恵慈の弟分。恵慈に認められて「胡蝶」の後継者の為の種を提供することになったが、現在まで役目を果たせていない。姉は宝塚歌劇団のトップスターの一人。現在は若宮虹之助を名乗っている。胡蝶の愛人となってから踊りの技術は格段に上達しており、胡蝶がスランプに陥った際に虹之助の踊りを見て立ち直ったこともある。姿と声は若宮のお家芸である「立役」には向かず、それゆえに(女性としては)体格の大きい太郎を嫁にと父に望まれる。 若宮 虹四郎(わかみや こうしろう) 大名跡を持つ歌舞伎俳優で胡蝶の愛人の一人。虹之助の父。歌舞伎踊りの若宮流の家元。 若宮 虹子(わかみや こうこ) 宝塚歌劇団の元トップスターの一人。性同一性障害者で、女性に対して指向がある。胡蝶の愛人の一人。現在は宝塚を引退し、女優となっている。父に頼まれて太郎と唐糸に逢い、周一の嫁にと太郎に白羽の矢をたてた。
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若宮家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 01:47 UTC 版)
熊本県、兵庫県城崎郡豊岡町(現在の豊岡市)、東京市赤坂区四ノ一 父・正海法師(熊本県人、僧、兵庫県豊岡町の西楽寺住職)? - 明治30年7月2日 長兄・正音(正海の長男。農商務省商工局長、逓信省電務局長、無線電信講習所初代所長)安政元年生(1854年) - 大正13年4月5日没 大阪師範学校卒業後岡山などで教員を務めたのち、和歌山新聞の編集長を経て上京、内務省に入り、福井県地理課長から駅逓局に転じ、逓信書記官文書課長として電信規則法案を編成後、榎本武揚逓信大臣秘書官、工務局長を経て1891年に初代電務局長となった。退官後は板垣退助に従い政界運動ののち実業に転じ、入山採炭や東邦火災保険などの役員を務めた。 養母・よね(正音の妻。愛知県、勝野秀雄の長女)慶応3年(1867年) - 昭和14年2月4日 次兄・若宮正響(西楽寺住職) 妻・こと(福井県敦賀町、大和田荘太郎の二女。京都府立第一高等女学校出身。姉の夫に大和田久兵衛)明治14年(1881年)10月生 - 昭和40年10月25日没 男・甲太郎明治38年(1905年)9月生 - 昭和63年2月2日没 長女・糸(鹿児島県、長井実行に嫁す。御茶の水高等女学校出身)明治41年(1908年)8月生 - 没 二女・文(三輪田高等女学校出身)明治43年(1910年)9月生 - 没 三女・章(中村貫之男爵の妻。千代田高等女学校出身)大正元年(1912年)9月生 - 四女・正(東京、大蔵官僚、政治家橋本龍伍の妻、橋本大二郎の母)大正3年(1914年)4月生 - 二男・乙二郎大正11年(1922年)11月生 - 養妹・貞(大島寛爾長男・卓爾の妻)
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