芸能人ゴミあさりシリーズ
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1978年秋、道で拾った自販機本の住所を頼りにエルシー企画の編集部に遊びに行った高杉弾は、明石賢生と佐山哲郎に突如として8頁の原稿を任された。その後、わずか1週間で商業デビュー作「Xランド独立記念版」を隅田川乱一との共同作業で制作し、記事中で掲載誌『スキャンダル 悦楽超特急』の乗っ取りを宣言する。 1979年1月、エルシー企画の自販機雑誌『スキャンダル 悦楽超特急 X-MAGAZINE』6号「特集/ドラッグ─大麻取締法はナンセンスだ」で編集長を務める。同誌ではかたせ梨乃宅のゴミ漁りを実行し、ドラマ台本や腐ったミカン、使用済みタンポンなどを誌上のグラビアで暴露する企画を行った。 1979年3月からは隅田川乱一、八木眞一郎、山崎春美、近藤十四郎ら日芸時代の友人らを巻き込んで伝説的自販機本『X-magazine Jam』(エルシー企画)を創刊し、ドラッグ、プロレス、パンク、コミック、宗教、臨済禅、神秘主義、虚構記事、ゴミ漁り、エッセイ、コラージュ、フリーミュージック(英語版)からなる誌面を展開する。とくに創刊号で「芸能人ゴミあさりシリーズ」と称して山口百恵宅のゴミを漁り、使用済み生理用品などを誌上で暴露したことから伝説化する。 その後、ゴミ漁りの件で女性週刊誌『微笑』(祥伝社)1979年5月26日号のインタビュー取材に応じ、「こういう雑誌にはメジャー誌ができないような企画、スキャンダラスなものが必要ですから」「もし、山口百恵サイドから告訴なんかされた場合は、ぼく個人としては争ってもいい」「編集の基本姿勢としては、受けて立つということでやっています」など編集部の見解を表明する。しかし、実際に出来上がった記事内容はイエローぺーパーレベルのもので、これに不快感を示した高杉は「少なくとも雑誌づくりに幻想(ビジョン)を持てないような脳なしの年寄連中には早々にご退場願いたいものだ」と『微笑』を痛烈に批判する声明を『Jam』4号の編集中記に発表した。 また、この頃からエロ本の男役モデルとして「からみ」もこなすようになり、のちに高杉は「僕は十何誌かやったな。とにかくこの業界ってね、新人の男は全員“からみ役”をやらされるんだよね」と回想している。
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