色彩の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 10:28 UTC 版)
この10年間でユトリロは、かつて「白の時代」に使われた光と明暗法の調和によって生み出されるコンポジションの統一感から、硬く乾いた黒い輪郭線で絵画空間を構成したフォルムの幾何学化によってモチーフ間のバランスを保つ「色彩の時代」へと移行した。 ユトリロは1914年の末に暴行と器物損壊で逮捕され、18区の警察に連行された。その後サン=タンヌ精神病院での3週間の拘束の後に、ヴィルジュイフの精神病院に移送された。1915年1月18日に退院したが、その直後軍部によってアルジャンタンに召集された。しかし1月20日に医学的検査の結果「精神病」によって兵役免除となった。ユトリロはセザール・ゲイの店の奥で色彩の調和を探求した。 1915年6月20日、クローが85歳で死去した。ユトリロは一年中絵を描くと共に酒を飲み、騒ぎを起こしたため、休暇中のユッテルに連れられてヴィルジュイフの病院に12月27日入院した。そこでユトリロは10ヶ月以上の監禁生活を送り、1916年11月8日にコラン医師により退院を許された。ヴァラドンは彼女の絵のモデルをしていたガビーという女性とユトリロを結婚させようとしたが、この望みは叶わなかった。この時期ユトリロの作品はより評価されるようになった。1917年5月のベルナイム=ジュヌの画廊で開かれたグループ展にて、彼の作品は数枚出品された。ドルーはリボードに代わりユトリロの画商の筆頭となり、ポワソニュ街70番地の一室を彼に貸し与えた。
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