舞台への回帰とATG
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1975年(昭和50年)には自らが座長を務める劇団「艶舞座」の活動を始めており、翌1976年(昭和51年)10月11日には、西船ミュージック劇場(1969年6月11日開館)で、藤ひろ子、ティミー杉本、木南清、ふじやま竜とともに舞台に上がっている。前出の小田克也によれば、1970年代後半に入って同劇団座長としての地方公演が多かったという。1980年代に入ると、諸記録に残る出演数が減少するが、1985年(昭和60年)5月11日に公開された森崎東監督の『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』、1986年(昭和61年)4月26日に公開された金秀吉監督の『君は裸足の神を見たか』といったATG配給作品に起用されている。1988年(昭和63年)に日光江戸村の専務取締役に就任した中山昭二(1928年 - 1998年)に誘われ、日光江戸村劇団に参加、活動拠点を栃木県日光市に移す。中山とは紀伊國屋ホールでの舞台演劇等で共演したことがあるという。1992年(平成4年)には、江戸村が製作した連続テレビ映画『徳川無頼帳』、1995年(平成7年)には同じく『姫将軍大あばれ』にも出演した。1998年(平成10年)12月1日に中山が死去し、江戸村を辞した。 還暦を迎えた2001年(平成13年)にも『姉妹OL 抱きしめたい』(監督田尻裕司)に出演しており、最新の出演作は、久保新二に誘われて出演した、2009年(平成21年)1月10日公開の『Mの呪縛』(監督新里猛)である。2011年(平成23年)5月27日に発行された『昭和桃色映画館 まぼろしの女優、伝説の性豪、闇の中の活動屋たち』(鈴木義昭)にインタヴューが収録された。同書によれば、癌克服以降、オイルセラピーのセラピストとして活動をしている。現在、日光市在住。
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