自由主義の転換
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1877年から1937年にかけてのアメリカにおける、レッセ・フェール的立憲主義からニューディール体制へ、古典的自由主義から民主主義的社会福祉国家主義への自由主義の転換がどうして起こったのかは、学者による研究の対象となっている。 19世紀、ほとんどの民主主義国家で選挙権が拡大し、新しく選挙権を得た市民は、政府による経済介入に対する賛成票を投じることが多かった。識字率の上昇と知識の広がりは、様々な形で社会的な積極行動主義へ結び付いた。自らを社会自由主義者と呼ぶ人々は、児童労働を禁止する法律や、労働の安全の最低基準を定める法律の制定を求めた。これに対し、自由放任経済を主張する自由主義者は、そのような施策は経済成長の妨げとなるだけでなく、自由に対する不当な制約であると考えた。そのため、19世紀の社会自由主義は、「古典的自由主義」と袂を分かつこととなった。1911年、レナード・T・ホブハウスは著書『リベラリズム』を出版し、そこで「新しいリベラリズム」について述べた。それは、政府の経済への介入を一定限度で認め、彼が「正当な同意」と呼ぶ、取引の平等に対する集団的権利を認めるものであった。ハイエクは、ホブハウスの著書は古典的自由主義とは余りに異なるものととらえ、『リベラリズム(自由主義)』ではなく『ソーシャリズム(社会主義)』というタイトルの方が正確だっただろうと論評した。なお、ホブハウス自身は、自分の考えを「リベラル・ソーシャリズム(自由社会主義(英語版))」と呼んだ。 アメリカでは、「リベラリズム (liberalism)」という言葉は社会自由主義を指すことがほとんどである。一方、ヨーロッパのいくつかの国では、「リベラリズム」はアメリカでいう「リバタリアニズム」を指す。つまり、ヨーロッパの「リベラリズム」は自由な市場経済と、より小さな政府を支持するものであることが多い。 オーストラリアでは、中道右派、すなわち「保守」政党の名前がオーストラリア自由党である。「自由 (liberal)」という言葉が選ばれたのは、旧コモンウェルス自由党 (Commonwealth Liberal Party) を指し示すとともに、「社会主義者」のオーストラリア労働党と区別するためであった。しかし、現代アメリカ的用法が知られているため、「自由 (liberal)」という言葉は、自由党の党員ないし支持者を示す場合から、古典的自由主義者を表す場合、更には現代アメリカ的意味での「リベラル」(社会自由主義)を表す場合まで、広い意味を持ち得るものとなっている。
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