自民党政権の崩壊・連立時代へ
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「一龍戦争」の記事における「自民党政権の崩壊・連立時代へ」の解説
1993年6月宮沢内閣不信任決議案が提出される。当初は与党の反対多数、否決の公算であったが、小沢の羽田派が不信任案に同調し可決され、宮沢首相は衆議院解散を行う(詳細は嘘つき解散を参照)。羽田派は離党し新生党を結成、小沢は党代表幹事(幹事長)に就任。7月の衆院選で新生は躍進、自民は過半数割れ(公示前勢力は保ったものの、新党結党で離党者が相次いだため公示前から過半数割れ)となった。 宮沢首相が退陣表明し、後継総裁選で河野洋平官房長官が新総裁に選出されると、橋本が党政務調査会長に就任。この時に橋本政調会長が『下野の中で政調会長就任の何がめでたいものか』と発言。8月、非自民・非共産連立政権による細川護熙内閣の発足で小沢代表幹事が連立与党の責任者となる。 1994年4月細川首相が辞任し、羽田外相が後継首相になる。連立与党内で小沢に対する不満が高まり日本社会党や新党さきがけが連立与党から離脱、過半数割れの少数与党となる。そのまま羽田内閣が発足するも、同年6月に自民党の羽田内閣不信任決議案提出を前に内閣総辞職を表明する。 この時に橋本政調会長ら執行部が連立から離脱した日本社会党に水面下で接触し自社さ連立で合意、同月29日の首班指名選挙で自社さ3党が推す村山富市社会党委員長が、自民党を離党した海部元首相を破り首班指名を受ける。村山内閣の発足で橋本政調会長が通産大臣に就任。12月新進党結成で小沢前新生党代表幹事が海部党首の下で党常任幹事会幹事長に就任。
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