臨港鉄道の衰退から廃止へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 17:53 UTC 版)
「東京都港湾局専用線」の記事における「臨港鉄道の衰退から廃止へ」の解説
このようにして、東京港の臨港鉄道は1965年(昭和40年)頃には線路総延長24 kmまで成長し、輸送量のピークを迎えた。しかしモータリゼーションの進展に伴い、機動性に優れたトラック輸送への転換が進み、輸送量は減少に転じた。エネルギー革命の進展に伴い、深川線の輸送量の大きな部分を占めていた東京ガスの輸送も1977年(昭和52年)7月に専用線が廃止となった。1976年の「東京港第3次改訂港湾計画」では、多くの鉄道計画が廃止となった。さらに1984年2月1日国鉄ダイヤ改正では、国鉄の財政再建のために操車場を経由した集結式輸送方式がほぼ廃止となったことから、貨物輸送の多くがコンテナ化されて、東京都の専用線へも大きな影響を与えた。以降は年間20万トン程度の輸送量に留まった。 こうしたこともあり、1985年(昭和60年)1月16日にはまず豊洲物揚場線が廃止となった。さらに芝浦線・日の出線への貨物線の接続元である国鉄汐留駅が廃止となる影響を受けて、1985年(昭和60年)3月1日に国鉄芝浦駅と東京都の芝浦線・日の出線が廃止となった。1986年(昭和61年)1月13日には深川線のうち、晴海線が分岐する地点から豊洲石炭埠頭までの間も廃止となった。最後まで残された晴海線も、1989年(平成元年)2月10日に廃止となり、東京都港湾局専用線は全廃となった。 廃止となった路線跡は多くが再開発されており、一部に線路敷地が残されているのみである。その中でも晴海運河に架かる晴海線の晴海橋梁は最大の遺構で、現在もそのまま残されている。長らく遺構の有効活用が提案されながらも動きがない状態となっていたが、2021年(令和3年)に東京都港湾局が修繕工事を施して遊歩道化すると発表、同年2月に修繕工事が始まった。また、2020年(令和2年)10月1日より利用を開始した東京BRTの晴海BRTターミナルは、晴海機関区の跡地を利用して造成された。
※この「臨港鉄道の衰退から廃止へ」の解説は、「東京都港湾局専用線」の解説の一部です。
「臨港鉄道の衰退から廃止へ」を含む「東京都港湾局専用線」の記事については、「東京都港湾局専用線」の概要を参照ください。
- 臨港鉄道の衰退から廃止へのページへのリンク