聖書の翻訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 20:52 UTC 版)
ドナウ下流域では、川の両岸で教会生活はあらゆる形式において豊かに花開いた。しかしドナウ川北岸のルーマニア人を司牧する府主教座は13世紀末から14世紀初めに初めて創設された。これはこの地方の政治的発達の反映であった。多くの宗教文書は定期的に書写されたが、16世紀に至るまで教会スラブ語だけが用いられた。 しかしルーマニア語への重要な翻訳は確実に進行しつつあった。ヴェロネト・コデクスやブカレスト聖書(Biblia de la Bucureşti)といったルーマニア語による聖書全巻の最初期の翻訳が17世紀末に現れた。ワラキアではセルバン・カンタクゼノスの治世下で1688年に聖書が出版され、成熟した仕事として受け取られた。 ルーマニア語への聖書の翻訳は、英語における欽定訳聖書に匹敵する文化的重要性を持つ。これは、多くの、おそらくは現在もなお知られていない、匿名の先行する翻訳なしにはなされえない仕事だった。歴史家ニコラエ・ヨルグにより「ビザンティウムなきあとのビザンティウム」と呼ばれた運動の中で、東ローマ帝国に由来する豊富な写本がドナウ川北岸にもたらされ、聖書の翻訳に結びついたのである。 ルーマニア語の聖書が刊行されたことで、ルーマニア教会における教会スラブ語とギリシア語の重要性は段々に薄れてきた。1736年は教会スラブ語の典礼書がワラキアで出版された最後の年になった。1863年にルーマニア語は公式にルーマニア正教会で用いられる唯一の言語となった。 モルダヴィアとワラキアがオスマン帝国の属国であり、トランシルヴァニアがハンガリーの領土であったほとんどの時期の間、ルーマニア人は正教会の信仰をその民族的同一性の一部として保ってきたのである。
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