耐久生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 09:00 UTC 版)
「コピアポ鉱山落盤事故」の記事における「耐久生活」の解説
鉱夫たちは50平方メートルほどのシェルターにいたが、通気性に問題があったため、坑道に移らざるをえなかった。シェルターのほか、動きまわるスペースのある2キロほどの地下通路があった。鉱夫たちはバックホーを使って地下水を確保している。鉱山シャフトの内側にある搬送機のラジエーターからもある程度水を得ることができた。食料は限られていたため、1人あたり8キロほど体重を落としている。緊急時にと残されていた食料はわずか2、3日分であり、彼らはそれを分け合って、発見されるまでの2週間をやりくりした。彼らが口にしていたのは「48時間ごとにマグロの缶詰を小ぶりのスプーンに2杯、牛乳を一口、ビスケットを1枚、桃の一切れ」であった。明かりにはトラックのバッテリーを使ってヘルメットのランプを灯している。 退院後のマリオ・セプルベダの言葉によれば33人は「一人一票制の民主主義を採用していた。脱出口を探したり、士気を高めようと皆で頑張った」「もし関係が破綻したら、みんなおしまいってことは誰もがわかっていた。毎日別の人間が何かしら不始末をやらかしたけど、そういうときはいつでも、みんながチームとして士気を維持しようとしていた」という。セプルベダはじめ古参の鉱夫は若い人間をよく助けたが、鉱山内で起こったことの詳細、特に絶望的だった最初の何週かに起こったことについては口を閉ざすよう皆で誓った、と彼は言った。そういった出来事の中には、仲間が死亡した場合にその肉を食べることも真剣に検討したことも含まれていた。 アバロスもまた、地下で生き残るため空腹に打ち勝とうと力を合わせた。「まとまりになれば、頑張りとおせる。希望をもっていられる。生き残るとみんなが信じなければいけなかった」と語っている。かつてプロのサッカー選手だったフランクリン・ロボスは自分たちが素晴らしいサッカーチームであるかのように行動したという。「ひどいことが起きたけど協力しあった。何もなかった、水が飲みたくても飲み物なんてどこにもなかったときも。僕らは協力しあったんだ。食べるものもなくて、スプーン一杯のツナ缶を口にしたぐらいだったときも。それで本当に結束することができた」。
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